その仕事に「幸せ」を感じられるか。

f:id:changemylife2019:20200728200719j:plain

 

 

皆さん、こんにちは。

 

会社での「ある出来事」から、それについて少し考えたことを記事にします。

 

サラリーマンである以上、時には考えることもある内容だと思います。

 

お付き合いください。

 

 

 

 

会社でのある出来事

 

会社でバリバリ働くある人が「ちょっとしたきっかけ」で、テンションやモチベーションが下がるという内容です。

 

その彼は出張も多く、多忙な日々を過ごしています。

僕の目から見ても、明らかに良い意味での「ハードワーカー」です。

 

その彼が同僚と給与明細(源泉徴収票)を見せ合ったことが、「事の始まり」です。

 

その彼は自分でもバリバリ働いているという自負があったのでしょう。

よりによって、その彼とは真逆の「活動量の少ない人間」と明細の比較をすることをしてしまったんです。

 

しかし、ほとんど大差が無かった・・・

 

 

会社が公平に評価してくれなかったということです。

 

 

給料明細といっても、「たかが数字、されど数字」です。

 

給料以外に評価するものが無いといっても過言ではありません。

 

仕事に対する評価(対価)は給料しかないというのが現実です。

 

 

では何が必要なのか?

 

僕がいろいろ本を読んで感じたのは、「幸せ」についてです。

 

今している仕事が他人にとって幸せや喜びを提供できているだろうか。

また、今の仕事が自分にとって幸せだろうか。

 

 

給料以上のことを望むなら、この「幸せ」しかないということです。

 

別にスピリチュアルなことを言うつもりはありません。

 

 

今、僕が仕事をしている業界・業種は必ずしも幸せや喜びを提供できているとは思っていません。

 

なぜかというと、全てではないですが「誰かの不幸の上に成り立っている」業界・業種だからです。

 

そんな中で数千万円の売上を上げられたからといって、僕は幸せを感じることはできません。

 

給料としてお金をもらえるのはもちろんうれしいです。家族もいますので。

 

また、真剣に丁寧に対応した結果、お客様から喜ばれることはあります。

 

でも、誰かの不幸で稼いでいるという気持ちがある以上、「幸せポイント」は溜まらないのです。

 

 

そんなことお構いなしで喜んでいるのは会社(経営者)ぐらいでしょう。

 

 

 

今回の出来事は「幸せ」が何であるのか忘れてしまったからこそ、「給料」という目先のものに一喜一憂してしまうというものです。

 

 

「お金が幸せ」ではないはずです。

 

 

お金が潤沢にあることが悪いわけではありません。

僕もお金は欲しいので。

 

そのお金を得るためにどれだけの犠牲を払ってきたのか。

 

 

自分の時間、家族との時間、友人との時間・・・

 

 

サラリーマンは自分の時間を提供して対価として給料を得る部分があります。

 

それが全てではありませんが、実績に対して公正に評価してくれる業界ももちろんあります。

 

でも、それは成長業界だったり、成長企業の話です。

 

僕の働く業界は決して成長業界ではありません。ITとは程遠い業界です。

事務処理でPCを使っていますが、その程度です。

 

そんな「成長していない業界」でいくらバリバリ働いても限界があるってことです。

 

また、今の会社はある意味「社会主義的」な側面もあるので、「頑張っても頑張らなくても結果同じ」であるわけです。

 

僕もそれを早々に感じ、現在の「頑張りすぎない」というポジションを確立したわけです。

 

 

だから時間は有限

 

「時間は有限」というと小馬鹿にする人もいるでしょう。

そういう人は時間の使い方を知らないだけです。無視していいです。

 

1日24時間。これは誰にも与えられた時間です。

お金持ちだから26時間とか、貧乏だから20時間しかないとかはありません。

 

1日の仕事の時間が多くなれば多くなるほど、残りの時間は少なくなります。

 

 

当たり前です。

 

 

サラリーマンなら「自分の時間を切り売りしている」ということです。

 

その24時間の中で、あらゆる時間を捻出しなければなりません。

 

時間をコントロールできない人間が自分をコントロールできるわけがないと僕は考えます。

 

 

「バリバリ仕事をしているのだからこれくらいもらえるだろう」なんて考えが甘い。

 

 

その仕事は幸せを提供できているのか?

その仕事で自分は、家族は幸せになっているのか?

 

いろいろなことに興味を持ち、何が幸せであるのか自ら見出さなければなりません。

 

「幸せ」といってもとても抽象的です。

 

それもそのはず、人それぞれ何に幸せを感じるのかは違うからです。

 

 

毎日グッタリして1日を終わることに幸せを感じますか?

 

毎週身体のケアが必要な状況が幸せに映りますか?

 

 

誰のために働くのか

 

それはもちろん自分の為です。

 

決して「会社の為に」と考えないでください。

 

会社というものは、従業員をほどほどの給料でそれ以上の成果を出させようとするものです。

全部が全部ではないでしょうが。

 

 

おそらく、僕とバリバリ働く彼の年収は100万円も変わらないでしょう。

もし、100万円以上の差がついていても羨ましいとは思いません。

 

 

彼の姿が「幸せ」に感じないからです。

 

 

彼は完全にポジションを間違えてしまいました。

 

急に方向転換できるわけでもなく、会社からの期待値も高いままです。

 

期待と葛藤の狭間で悩むでしょう。

 

 

決して、その彼と自分を比較して安心しているわけではありません。

 

「何事もほどほどがいいんだな」って感じたのです。

 

だって仕事が人生ではないでしょ?

 

でも、好きなことが仕事だったらいいと思います。

 

 

www.changemylife2019.com

 

 

 

今回もブログを読んでいただきありがとうございます。